素読所(塾)・講釈所の構成


士分の子弟は原則として10歳になると素読所の第4等へ入学する。(遠方の者、病気の者は1年遅れの入学を許された)

考査に合格すると3等、2等、1等と進級する。
制限年齢に達しなくても、考査に合格すれば進級し、かつ藩より褒賞があった。そのため、16歳未満で素読所を卒業するものが多かった。
しかし、学問が未熟で、かつ弓馬槍刀の武芸の内一芸の免許も得られない者は、別に設けた年長所の講習を受けることになり、長男は35歳、次男以下は21歳まで退学を許されなかった。


【素読所進級のしくみ】

第四等(10歳) 入学当時
第三等(12歳) 300石未満の長男、および
300石以上の次男以下まで進学
第二等(14歳) 300石以上500石未満の長男が進学
第一等(16歳) 500石以上の長男が進学


素読所は三礼塾毛詩塾尚書塾ニ経塾の4塾に分かれ、1塾の生徒は通学区域によって二つの組に分けられ、各組を大什長が統率した(郭外居住藩士は最寄の塾に入学)。

大什長は毎月1回の輪番で、各自の家に集まって生徒の指導の仕方を話し合ったり、生徒の行状について父兄等に相談もした。

各組はさらに10ないし13,14の小組に分けれられ、小組の中で年長でかつ文武に優れたものが什長となった。
什長は登下校、その他帰宅後の遊びにいたるまで一切の世話をした。
居住区域の生徒は一列縦隊に隊列を組んでの集団登校。

什長の任免は家老の意を受け、教官が言い渡した。
什長を無事に勤め上げて免ぜられた者は、藩主にも報告されたという。
又、什長を数年間に渡って続け、さらに優れたものには特別に酒銭が下された。


【地域による塾の組分け】

三礼塾(東表通り) 一番組(小田垣辺)/二番組(ニノ丁辺)
毛詩塾(東裏通り) 一番組(上四ノ丁辺)/二番組(下四ノ丁辺)
尚書塾(西表通り) 一番組/二番組(米代辺)
ニ経塾(西裏通り) 一番組/二番組(本丁辺)




【素読所における等級別勉強内容】

第四等(10歳) 孝経、大学、論語、孟子、中庸、国語
詩経、書経、易経、礼記、春秋(以上、十一経の素読)
日新館童子訓
第三等(12歳) 四書、国学、春秋左氏伝、独着(自習)
第二等(14歳) 四書、小学、礼記、集註、蒙求、十八史略
第一等(16歳) 四書、近思録、ニ程治教録、伊洛三子伝心録
王山講義附録、詩経集註、礼記集註、周易本義
春秋胡氏伝、国語、史記漢書


素読所を卒業すると、講釈所に入学し(成績優秀者など)、考査によって下等から上等へ順次進級した。長男は30歳、次男以下は21歳まで退学を許されなかった。
卒業生の中で選ばれた者は、江戸の昌平坂学問所をはじめ全国各地に遊学を命じられた。




【講釈所】

大学(至善堂とも)

下等 入学当初
中等 長男は30歳まで
上等 次男以下は21歳まで



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