六科糾則令
【六科糾則令とは?】
天明8(1788)年2月、第5代藩主容貞はの六科糾則令を下した。
六科糾則は六科・六行・八則から成る。
六科・六行に適合をする者を重用し、八則(やってはならぬこと)に適合する者を退けるもので、いわば会津武士の規範を示した令である。
(『幕末会津藩』歴史春秋社編 によれば、六科糾則の令は藩士の学問所である講所の令として、天明8年8月に発されたものらしい)
【六科】
【一】 | 古を稽へ事に明に治道に通じ、能く人の長所を知る者 |
【二】 | 人を愛して物に及ぼし、教化安民の道に志す者 |
【三】 | 神道和学に達し、吉凶の礼故実を知り、時に損益することを知り、清廉にして能く慎む者 |
【四】 | 古聖人の善とする所を知り、時宜に従ひて処置し、武備教練の意を会得し沈勇なる者 |
【五】 | 人の為に謀り、人の事に代り、己が事の如く心を尽し、忠信にして獄訟律学に長じたる者 |
【六】 | 和順にして物の性にらず土木百工を導き方能ある者 |
※中に就きて大に得たる者は大に用ひ、少し得たる者は小に用ふ。之を審にするは六行を以てす。
【六行】
【一】 | 善く父母に孝なる者 |
【二】 | 善く兄に事へ善く弟を愛し、長を敬し幼を恵む者 |
【三】 | 善く家内及び親族に和睦なる者 |
【四】 | 善く外親に至るまでを親み、本を忘れざる者 |
【五】 | 友に信ありて人に任せられ、其のことを担当して久きに耐ふる者 |
【六】 | 親族朋友に災厄疾病貧窮等あれば、厚く之を救恤すること、己の憂に逢ふが如くする者 |
【八則】
【一】 | 言行を慎まずして父母を危くし、事へて順ならず、喪に居て哀戚(あいせき)の容なく、懶惰(らんだ)の行ある者 |
【二】 | 薄情にして家内親族和せざる者 |
【三】 | 兄弟に友ならず、師に循(したが)はず、長を侮り幼を愛せざる者 |
【四】 | 言行信ならずし面従後言し、或は男女穢褻(わいせつ)の行ありて、近隣朋友に疎まるる者 |
【五】 | 怠惰残忽にして親戚朋友等の艱難痛苦を救恤せざる者 |
【六】 | 漫に浮言を造りて衆を惑はし、又非理なるを強弁し道理に従はず、其の行りて粉飾する者 |
【七】 | 聖人の道を信ぜず、党を結び猥りに精霊法度及び他人を排議し、世俗の浮説を信じて私智に矜り、弁舌をもって事を壊ぶる者 |
【八】 | 文武は相資し偏廃すべからざることを知らず、己が学ぶ所に執滞し、能を妬み技を誇り、猥りに偏執の心を懐く者 |
※此の八過の内一も其の身にあれば、仮令才智芸能あるとも、其の尤め逃るべからず。常に心に存じ慎むべし。
<出典>『会津松平家譜』
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