軍事調練「追鳥狩」



【追鳥狩とは?】


寛政4(1792)年、軍事奉行黒河内内揮の建議で始められた軍事調練を兼ねた狩。
(おいとりがり) と読む。
当初は本郷町の向羽黒山の北麗で行っていたが、文化14(1817)年からは大野ケ原で行われるようになった。

藩主が在国のとき、2年に一度程度行われた。
常時三の丸で行っていた日新館の軍事調練大会にあたり、長沼流の軍法にのっとり実戦さながらの総合演習である。
その内容は、伝来の甲冑、陣羽織を身につけ隊ごとの演習を行った後、敵に見立てた鳥や獣を捕まえるというものだった。


【追鳥狩の方法】


●追鳥狩の行われる前日の午後4時、藩士らは二組に分かれて追手門(表門)と搦手門(裏門)から出発する。先陣が大野ケ原に到着すると狼煙を上げ、これを滝沢峠船石で中継し城下に報じた。そしてそのまま野営して朝を待つ。

● 藩主の御立場では終夜篝火が焚かれ夜明けを待つ。

● 夜が明けると法螺貝の合図で全軍鬨(とき)の声を上げ、演習が開始される。

●獲物はあらかじめ捕まえておいた雉、山鳥、兎、熊の子、狸、狐などでこれを追って捕まえる。

●藩主は小高い台場に臨み獲物を得た侍は御前に駆け上り、捕った獲物を献上した。一番に獲物を捕り、献じたものを一番鳥と称し褒美が与えられた。

※追鳥狩は早朝から始まるので、見物客も前日から野宿して開始を待った。参勤交代の大名行列と並び藩を上げての行事であった。




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