藩校・日新館




会津藩校・日新館


藩祖保科正之は、学問奨励のため、諸国から学者を招くとともに、自らは4代将軍家綱の補佐役として講義をした。藩校日新館の前身ともいえる、日本最古の教育施設「稽古堂」ができたのは、この時代である。

2代正経の時には藩の学問所
「郭内講所」が設けられた。

5代藩主松平容頌の時、「会津藩の興隆は人材の育成にあり」とした家老
田中玄宰の建言によって、学制の改革に取り組んだ。
藩校日新館が完成したのは、1803年で5年の歳月を費やした。
「日に日に新たなり」からの命名といわれる。
日新館は孔子を祀る大成殿を中心に文武の教壇が並び、医学や天文学までも教えた学問の殿堂であった。


藩士の子弟は、10歳になると「素読所」(小学)に入り、試験で進級すると「講釈所」(大学)で学んだ。教科は多岐にわたり、当時全国300藩中随一と自認するほどだった。水練ができる今で言うプールもあった。

戊辰戦争で散った白虎隊の少年達もまた、この日新館で学んでいた。

日新館は儒教を中心とした総合教育によって会津独特の気風を生み、数多くの優れた人物を世に送り出した。


【素読所】


4等級の制度をとり、試験に合格すれば進級できる。成績がよければ飛び級も可能。素読所では、先生などが教科書を読み上げ、それを正しく復唱するというもの。13歳からは書学(習字)、14歳から弓・馬・槍・刀を修行、16歳から生徒の成績、性格次第で大学へ進む準備をする。

【講釈所】


素読書を卒業した500石以上の長男と、成績・人物優秀な者が入学を許される。学生の自主的研究を主とし、学生同士の論講、討議を重視した。




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