会津藩の基礎データ



【家紋】


会津松平家の家紋は丸に三つ葉葵で、「会津葵」と呼ばれる。

三代藩主松平(保科)正容の時代から使用されるようになった。それまでは「九曜」を用いていた。

当初、輪の形を変え用いるようにとの令で、「瓜の内に葵」紋であったが(元禄9年)、その後「丸の内に葵」となった(元禄15年)。但し、庶子は「蕨手の内に葵」紋である。


会津葵



【家格】


●幕府における大名としての分類:親藩
第3代藩主正容の時代に松平の姓と葵の紋(会津葵)を使用することになり、正式な徳川一門となった。親藩では御三家に継ぐ家格。

●江戸城出仕時の部屋:溜間詰(たまりのまづめ)
ほかに彦根井伊家35万石、高松松平家12万石。



【領地】


公称23万石(寛政4年の『大成武鑑』によれば全国約19位の高禄、東北では外様の仙台藩に次いで2位となるという)。
幕府の預け領5万石。合わせて28万石だが、28万石とすると御三家水戸藩25万石より多くなるため、
23万石+5万石という言い方をしたという説もある。

●23万石という石高は、大名領の石高としては19番目ぐらいの高禄で、東北では外様の仙台藩62万石についで2番目の大きさであった。

●表高23万石のほかに南会津に御蔵入領(幕府の預かり地)5万5千石があり、実際はあわせて28万5千石の大藩だった。


<所領国郡名>

 陸奥:会津・耶麻・大沼・河沼・安積郡
 越後:蒲原郡

 預所・陸奥、越後、下野




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