中野 優子
なかの・ゆうこ



(1853〜1931)


娘子隊士。
会津藩士中野平内の娘で、母の孝子、姉の竹子らとともに1868年10月(慶応4年8月)若松西端の柳橋付近で戦う。
その後、若松城に入城し、斬髪にしていたので白虎隊に間違われたという。
1871年(明治4年)山浦鉄四郎(のち蒲生誠一郎と改名)と結婚し、函館に住み、夫は1879年(明治12年)に死去したが、彼女は長生きし、79歳で死亡。
墓は青森県八戸市湊町舘ノ鼻の会津墓地にある。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社
清水理繪さん著「中野竹子」『幕末・会津藩士銘々伝』新人物往来社 所収




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