神保 雪子
じんぼう・ゆきこ



(1846〜1868)


神保修理の妻。会津藩士・井上丘隅直行(600石)の二女。
1862年(文久2年)17歳のとき家老神保内蔵助の長男・修理と結婚。
慶応4年2月13日夫修理の切腹後、2月16日藩士全員とともに会津へ帰国。
8月23日、西軍の城下来襲後、実家に戻るも父・丘隅から「神保家の嫁として神保家の方々と運命を共にせよ」と言われ婚家に戻ろうとするが、既に城下は、敵軍が多数侵入しており、たどり着けずさまよううちに板下へと向かう途中の娘子隊・中野竹子らと合流。板下に着いたものの護衛すべき照姫は既に城内に入ったと聞き衝報隊に合流を嘆願しこれを許されて鶴ヶ城へと戻ることに。
柳橋付近で戦ったが、西軍に捕えられ、23歳の若さで自刃した。
墓は福島県会津若松市門田の善龍寺なよ竹碑に合祀されている。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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