米沢 昌平
よねざわ・しょうへい



(1840〜1868)


会津藩士。
品行方正であり自らやましくないことを信条としていた。
若くから篤学で聞こえ、江戸へ遊学する。
1868年(慶応4年)京都の戦いに敗れたあと江戸に帰り、再挙を計画したが、勝海舟の非戦論に妨害され、勝の暗殺を計画。広沢安任に諭される。のちに大鳥圭介に招かれて幕僚となる。野州各地で戦い、宇都宮領安塚(栃木県鹿沼市)で狙撃弾に斃れる。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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