林 八十治
はやし・やそじ




(1853〜1868)


白虎士中二番隊自刃隊士。
若松城下、郭外川原町三番丁用所役10石3人扶持・林忠蔵長男。母・みよ。母没後、継母・とき子に育てられた。父母に仕えて至孝、事に臨んで勇敢沈着であった。
戊辰戦争時、 戸ノ口原の戦場では雨で銃口が濡れて発火しなくなるのをおそれ指を銃口に入れて木陰で動かず立っていた。これを仲間が覗くと八十治はイビキをかいて居眠りしていた。すると目覚めた八十治は「うーん、一寸寝たわい。俺は敵将の首を取ったぞ。夢だったがな。」と言った。敵襲を目前にしてこの大胆さに仲間は皆驚いたという。
10月8日(旧暦:8月23日)退却後、飯盛山では生涯仲のよかった永瀬雄次と刺し違えて死のうとしたが重傷の永瀬には八十治を刺す力はなかったので永瀬を刺した後、野村駒四郎に介錯を頼み、腹を切って国難に殉じた。
墓は福島県会津若松市一箕町飯盛山。
(自刃時16歳)

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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