小川 渉
おがわ・わたる




(1843〜1907)


会津藩士。
小川常有の次男。藩命により昌平黌に学ぶ。戊辰戦争に参加ののち斗南に移る。1871年(明治4年)に青森田名部支庁に勤め、のち支庁長となり県政に尽力、小川町の名が残る。1875年(明治8年)に北斗新聞社を興し記者生活をする。のちに青森を去り、長崎県尋常中学校教諭となり、その後は会津に帰り、『會津藩教育考』の執筆に専念する。晩年は青森で漢学の塾を開く。
墓は青森市香取神社境内。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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