若松 賎子
わかまつ・しずこ




(1864〜1896)


会津藩士・松川勝次郎の長女として会津に生まれる。
会津落城後、横浜の織物商の養女となり横浜フェリス女学院に学び、卒業後、同校の助教授を務めるかたわら有名なバーネットの「小公女」などの翻訳を発表。
巖本善治と結婚後、意欲的に創作活動を続け、その仕事は日本近代文学の発展に大きな役割を果たしたといわれている。
有名なバイオリニスト巖本真理は賎子の孫にあたる。




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