土屋 鉄之助
つちや・てつのすけ



生没年不詳


農夫・町人、その他武士階級以外の従軍応募者を選抜して士族に採用する、いわば義勇兵制度の路を開いたのは、西軍との戦いが本格化した(慶応4年)8月に入ってからであるが、新練隊長・土屋鉄之助の建策に基くものである。
鉄之助は新練隊を率いて白河方面に従軍していたが、寡兵のため毎戦利あらず、士気の粗相する憂いがあるので、これを振作するには兵士の階級を問わず、軽卒はもとより、たとい農夫商人であっても志願する者はこれを藩兵に組み入れ、戦場に臨んで死を顧みざる者およそ千人を選抜してこれを士分に登庸するにありとし、8月初め、鶴ヶ城に帰って容保に建議して嘉納された。8月4日、次のように発令された。
『急御用に付敢死之士御募り町在の者たりとも士中に御取立御知行百石被下筈 鉄砲刀槍有余之者暫御借上』
これに応じた農町兵から250人を選抜して、まず独礼の資格を与え、これを敢死隊と称した。


参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社

綱淵謙錠氏著『戊辰落日』文春文庫



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