外島 機兵衛
とじま・きへい
(1826〜1868) |
会津藩士。 堀藤左衛門の次男。幼名は機四郎。のちに義直。外島家を嗣ぐ。 目付から江戸留守居役に進み、万延から文久にかけて幕府と水戸家との調停に奔走した。 1862年(文久2年)公用人として藩主・松平容保の京都守護職就任にともなって上洛。公卿や諸藩士の間を奔走して容保の片腕として活躍した。 翌年、姉小路公知暗殺の犯人田中新兵衛を捕える。のちに勘定奉行。 鳥羽・伏見の戦いでは畿内の情勢を探り、兵糧の調達にあたり、また播磨や紀州に散らばった敗残の藩兵を送還した。地味だが藩政には欠かせない実務型の優秀な人材だった。 恭順を唱えて江戸へ留まるうちに病死。 東京都港区芝の青松寺に葬る。 参考 『幕末維新人名事典』新人物往来社 |
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