田中 茂手木
たなか・もてぎ



(1843〜1868)


会津藩士。
田中八郎兵衛の弟、若松城下で生まれる。
1866年(慶応2年)に樺太の日露国境交渉に派遣された幕府外国奉行小出大和守秀実に随行して、山川大蔵とともにペテルブルグに派遣され、パリの万国博も見てきた会津藩の俊英。帰国して江戸から船での帰途、新潟港で家老梶原平馬に会い、平馬を助けて新潟港を管理、故郷会津に帰らないうちに新政府軍の新潟来襲で戦死。
墓はなく護国神社東軍慰霊碑に合祀。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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