田中 玄純
たなか・はるすみ



(1807〜1861)


会津藩士。
通称は鉄之丞。350石。家老・田中正玄の一族で、性質は謙虚、勤敏温恵で、それゆえに人々は恩に感じ才に服したという。
軍事奉行・学校奉行等を経て、1859年(安政6年)会津藩に幕府から紋別・標津地方支配の命を受け、若年寄陣将として現地に赴き一時帰国。同61年(文久元年)再度蝦夷に渡り帰路、病に倒れ、勇払(苫小牧)で没した。
墓は函館市高竜寺。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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