寺田 徳祐
てらだ・とくひろ



(1828〜1883)


会津藩士。
幼名・山本滝三郎、房総警備に7年勤務後に江戸詰、寺田家を継ぎ、寺田寛介、維新後徳裕、号は小陶。京都勤番後、戊辰戦争では越後口に出動、最後の津川代官。落城後は越後高田に監禁されたが、斗南に行くのをやめ新潟で船待ち中に沼垂の人たちの懇望で私塾有隣館を設置、1872年(明治5年)沼垂小学校の初代校長として17年、今もって敬慕されている。
墓は新潟市沼垂悉地院。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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