伊東 悌次郎
いとう・ていじろう
(1854〜1868) |
白虎士中二番隊自刃隊士。 若松城下、米代四之丁藩儒130石伊東左太夫二男。母すみ子。馬術も得意。隣家が砲術師範の山本覚馬邸なので山本の妹・八重子から銃の撃ち方を教えられた。引鉄を引くたびに無意識の内に眼をつぶってしまうので、八重子からずいぶんと「臆病者」などと叱られたというエピソードが残っている。ために操銃については他に抜きん出た腕前を持つに至った。 身長高く大柄だったので父は隊長・日向内記と相談し、年齢を偽って白虎隊士中二番隊士になる。出陣にあたり、かねて強く希望していた名刀を両親から与えられ(備前兼光)、「この刀にかけて、君恩に報じ、あわせて父上・母上への御恩も忘れぬことを誓います」と欣喜雀躍して出かけていった。 戸ノ口原から後退するとき、負傷した池上新太郎を助けているうちに遅れる。飯盛山に先の17人よりは遅れて着き、既に自決した同僚の姿を見て遅れじと親友の井深茂太郎の隣で自刃した。 戦後、井深茂太郎の遺族が占いで茂太郎の死地を探し当てた際、茂太郎の遺骸とともに見つかったのが悌次郎の遺骸であったという。遺族は遺骸をそのまま飯盛山の自刃の地に留め置き、遺髪のみを持ち帰って菩提所に葬った。 墓は福島県会津若松市一箕町飯盛山。 (自刃時16歳) 参考 『幕末維新人名事典』新人物往来社 |
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