辰野 勇
たつの・いさむ



生没年不詳


10石3人扶持。会津戦争時には敢死隊所属。
(慶応4年閏4月19日)この日たまたま会津・猪苗代の城代で土湯口の守将をしていた一柳四郎左衛門の使者として、中根監物とともに仙台藩の福島軍務局に来ていた。彼らの使命は軍務局詰参政の泉田志摩に逢い、列藩の解兵に及びしは全く貴藩の尽力のおかげなり、と謝辞を陳べるためであったが、志摩が不在のため瀬上主膳の陣へ赴き、右の口上を陳述した。そして偶然にも世良(修蔵)の捕縛を目撃して、感極まって泣いたという。辰野たちは瀬上に向って、ぜひ自分たちの手で斬首のうえ、その首級を国許へ持参させて欲しい、と切願したが、瀬上はさすがにそれは許さなかったので、それでは世良の頭髪をもらって帰り、それで我慢しようという。これは承諾した。そこで世良の刑死後その髪を切り、国許へ持参して、四郎左衛門にその顛末を報告した。
8月23日、戸ノ口原で戦死した。
享年40。

参考
綱淵謙錠氏著『戊辰落日』文春文庫




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