井深 宅右衛門
いぶか・たくうえもん



(1830〜1897)


会津藩士・井深清太夫重保の長男で7代。名は重義。梶之助、清兵衛とも称した。藩の学校奉行を務め、高は550石。
文武に秀でて博学多識、特に漢籍に深い造詣を持つ。また会津怡渓派の茶道の皆伝書を受けている。
妻の八代子は西郷頼母の妹で、長男が明治学院第2代総理となった梶之助である。
嘉永5年(1852)家禄550石を継ぎ、物頭、組頭、町奉行を歴任して、文久2年江戸常詰の聞番となる。翌年、軍事奉行仮役として京都に上り、慶応2年(1866)学校奉行に転じて会津に帰った。
戊辰の役には第二遊撃隊の隊頭として越後方面に出陣。
萱野権兵衛切腹の日の朝、手元の竹の火箸を取り一刀流溝口派の奥義を伝授した相手が、この宅右衛門であった。
その後、用人として藩主父子に付き添って滝沢村に謹慎し、喜徳が東京の有馬邸に移されるとこれに従い、明治3年に赦免となった。
同年10月、家族と共に斗南へ移住したが、同6年に若松に帰り、小学校の教員をつとめたあと、大沼郡書記、南会津郡書記、田島村組戸長などを歴任した。
明治30年3月19日没、68歳。
晩年は東京に移っていたらしく、墓は青山霊園にある。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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