武田 宗三郎
たけだ・そうざぶろう



(1850〜1869)


会津藩士。
武田藤吾の三男、若松籠城戦では朱雀寄合隊員で城外で戦ったが、落城後は塩川に集結謹慎、1869年2月19日(明治2年1月9日)、塩川を出発し越後高田に護送される途中で脱走、落城の決め手となった敵の小田山からの砲撃に際し山頂へ案内したという極養山極楽寺の僧(芦名氏)を憎み、襲撃して斬殺したため薬師川原で処刑された。
束松事件の武田源蔵とは別人。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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