高橋 誠三郎
たかはし・せいざぶろう



(1831〜1861)


会津藩士。
高橋勝助方孝の三男。名は宗彰、字は有常、古渓と号す。高津?川に学び、のちに江戸の昌平黌に入る。書生寮に居ること10年、その舎長もつとめ、松本奎堂・松林飯山とともに三才子とうたわれた。師の?川が藩主・容保の侍読に推挙したが、身分が低いために実現しなかったという。
59年(安政6年)病気のため会津に帰り、31歳で没す。
墓は会津若松市相生町自在院。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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