鈴木 為助
すずき・ためすけ



(1828〜1877)


会津藩士。
名は晋道。会津藩領の湖南赤津村(福島県郡山市湖南町赤津)の御代官屋敷で佐藤豊吉の第五子として生まれ、鈴木嘉左衛門の養子となった。戊辰戦争で青龍寄合一番隊に入り中山峠を守備していたが、敵の母成峠突破で急いで帰城、落城のときの第二の使者となり、土佐藩本陣へ潜行、落城の日、城頭に白旗を掲げた。
『会津開城使者の始末』の著者。
墓は会津若松市蚕養町法華寺にある。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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