津田 捨蔵
つだ・すてぞう




(1852〜1868)


白虎士中二番隊自刃隊士。
江戸三田の会津藩下屋敷で新番組士13石3人扶持・津田範三朝則二男として生まれる。母すぐ子。素朴で活発。身体が大きく藩邸の学舎で学ぶ。 江戸育ちで芝浦の海で舟遊びをして育ち、英明で活発な人柄で武芸を好んでした。
戊辰の年三月会津へ帰藩して白虎隊に入隊。
しかし捨蔵には今度のいくさが勝てないいくさであり、それでも郷里を守るためには戦わねばならないいくさであることが判っていたという。
戸ノ口原の戦いでは半隊頭と敵状偵察に出る。負傷した池上新太郎を伊東梯次郎とかばいながら飯盛山へ引揚げたので一同より大分遅れたが、他の皆が自刃した後にたどり着いて3人して自決した。
墓は福島県会津若松市一箕町飯盛山。
(自刃時17歳)

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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