スネル(兄)
ヘンリー・スネル



生没年不詳


蘭人。プロシア公使館書記官。後に会津藩軍事顧問。
本名ヘンリー・スネル。Schnell,Henry(発音的にはヘンリー・シュネル)。会津入りした後、平松武兵衛と称す。
トーマス・グラバーと前後して日本に来た。
1863年(文久3年)ころプロシア領事館に勤務。
1867年(慶応3年)同公使館書記官を退任して、会津藩に軍事顧問として迎えられ、藩主松平容保より刀と衣服を拝領、平松武兵衛と称して会津若松に住む。日本人妻は庄内藩士の娘であった。
弟のエドワード・スネルは横浜に三番館を開き、長岡藩の河井継之助らと交遊した。戊辰戦争の際は、奥羽越列藩同盟側として西軍と戦い、新潟で弟・エドワードと武器・弾薬購入を周旋、東北諸藩に武器を売り、新潟港が西軍によって攻略されたのち、外人として日本で最初に裁判された。ヘンリーは東軍に加わり、押切の戦いで自ら大砲を発射した。
1869年(明治2年)邦人を伴い渡米、カリフォルニアにワカマツ・コロニーを建設するが失敗した。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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