海老名 季昌
えびな・すけまさ
(1843〜1914) |
会津藩士。 衛門秀久の長男。 幼名秀次郎、のち秀松、郡治、さらに季昌と改む。 日新館に学び、文武とも優等生。文久3年(1863)、父の隠居により家禄を継ぎ、よく元治元年勤番として京都にのぼり、同年7月に禁門の変で戦功をたてて使番に進む。慶応2年(1866)、常詰の大砲組組頭となったが、10月、パリ万国博覧会に出席する徳川昭武の随行員に任命され、翌年正月横浜を出航して仏・英・米・露・伊・蘭を歴訪して12月に帰国した。 1864年(元治元年)蛤御門の戦いに参加、1867年(慶応3年)藩命により幕府の遣欧特使徳川昭武の随員としてパリ万国博に参列、欧州各国をまわり帰国。 戊辰戦争では奉行、若年寄、家老として指揮。 降伏開城後は各地で謹慎の生活を送り、明治5年、赦免の後は斗南の三戸支庁に出仕したが翌年上京する。同8年、警視庁に入り、山形県警部あるいは北会津郡長などを経て警視庁警部となり、同25年に退職して若松に帰って来た。その後は若松町長、士族同志会長等をつとめ、大正3年8月23日、72歳で没した。 妻リンの影響により、晩年はクリスチャンとなった。 父は軍事奉行の海老名季久。 墓は会津若松市法華浄光寺。 参考 『幕末維新人名事典』新人物往来社 |
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