相馬 直澄
そうま・なおずみ



(1817〜1911)


会津藩士。名を幸胤と改め、素哉と号す。日新館に学ぶ。
蝦夷地常詰郡奉行・御蔵入奉行等を勤め、会津戦争では軍事奉行として家老佐川官兵衛とともに城外で防衛戦にあたる。
降伏後塩川謹慎中、単身脱走上京し、藩主の助命嘆願を兵部省に直訴して捕えられ、芝増上寺内謹慎所に収容される。
のち赦され、斗南藩野辺に移住。
1873年(明治6年)8月会津に戻り、耶麻郡小荒井村(喜多方市)の寺町に隠棲、近郷の子弟に漢学や国学を教えた。
遺書「松の滴」「素哉日記」。
墓は喜多方市寺町安勝寺。


参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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