白井 五郎太夫
しらい・ごろうだゆう



(1832〜1868)


会津藩士。500石。名は胤忠。鳥羽・伏見の戦いに大砲隊頭として鳥羽街道を進み、勝ちに乗じて前進してくる西軍に対し、弾丸の下をくぐって戦い、別選隊の援助を得て西軍を撃退する。
翌5日白井は隊を率いて戦い、銃弾に当たって負傷、淀で死去する。
享年37。
大阪市天王寺区の一心寺の墓地に白井五郎太夫とほか12名の墓碑があり、年々法要をしている。


参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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