塩田 牛渚
しおた・ぎゅうちょ
(1828〜1866) |
会津藩士。 塩田権六の三男、番・允・升夫などの名がある。 1846年(弘化3年)江戸勤番中に事故を起こし、以来武士を捨て彩色画家の道を歩む。一時越後に行き、のち京都に上り浦上春琴に花鳥画を学ぶ。さらに長崎に赴き僧鉄翁・木下逸雲・三浦梧門などに学び沈南蘋派の奥義を究める。 京都では画居を構え活動をなし孝明天皇への献上画も描いた。 墓は京都市東山黒谷の金戒光明寺。 参考 『幕末維新人名事典』新人物往来社 |
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