篠田 清太郎
しのだ・せいたろう



生没年不詳


会津藩士。
朱雀士中一番隊々士。
慶応4年5月1日、白河の戦いにおいて、藪の中から単身薩摩隊に殴り込み(得物は刀ではなく、逆さに持った銃であった)をかけた篠田は、たちまちのうちに5〜6人を殴り倒してこれに重傷を負わせた。結局その場で討ち取られてしまったものの、その場に居合わせた薩摩兵たちは、長く「獅子奮迅の勢いとは、かくなるものなるべし」と語り伝えたという。




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