渋谷 東馬
しぶや・とうま
(1832〜1904) |
武道家。 名は貞保、昌甫とも称し、時中軒・沈斎剣士と号す。生江寛隆の三男。1880年(明治13年)元会津藩医・渋谷家(200石、昌益の後)を再興する。 戊辰戦争の際は、門弟40人を率いて若松城に向かう途中、薬師堂川原で西軍と激戦する。小野派一刀流を極めて会津坂下に「養気館」を開き、文武ニ道によって多くの子弟を育成した。 墓は福島県河沼郡会津坂下町定林寺。 参考 『幕末維新人名事典』新人物往来社 |
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