関山 通子
せきやま・かよこ
生没年不詳 |
女流歌人。 天保12年(1841)3月17日、新潟の医者中川為重の娘として生まれる。父・為重は通子が生まれる4ヶ月前に、兄の身代わりとなって切腹した。12歳の頃、会津藩士高木四平について国学を学び、16歳で容保付の女官として鶴ヶ城にあがる。万延元年、20歳で病のため退城するが、このとき容保の子を身籠っていたのではないかという説がある。25歳で新発田藩士・鈴木伊平の三男・健次郎と結婚。健次郎は会津藩に出仕した。 戊辰戦争後は津川に移住し、塾を経営して子弟の教育に当たった。 明治19年、容保の津川町通行の際、「浅からぬ葵の露をかた敷きて見し夜の夢の昔をぞ思ふ」という歌を献詠している。 明治34年、病没。 享年61。 長男の健吉は、容保とよく似た容貌を持っていたと伝えられている。 参考 柴佳子さん著『会津藩の女たち』恒文社 |
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