佐原 盛純
さわら・もりずみ


(1836〜1908)


会津藩士ではなく、若松馬場町生まれ、旧姓金上、18歳で江戸に出て、添川完平・杉原心斎らに学ぶ。
1863年(文久3年)外国奉行池田筑後守の師となってフランスに渡り、パリの往復記録「航海日録」を書く。
維新前後は他藩に仕えたが、1872年(明治5年)足柄裁判所勤務。75年(明治8年)若松へ帰り、塾を開いて漢学を教えた。
後に私学日新館教授、84年(明治17年)「白虎隊」の漢詩と剣舞を初めて墓前に奉納。
墓は会津若松市東山正法寺。

参考

『幕末維新人名事典』新人物往来社



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