佐藤 忠八
さとう・ただはち


(1827〜1903)


会津藩士。
名は重信。渡部氏の二男。佐藤忠蔵の養子となる。会津若松に生まれ、早くから和算を好む。もとは刀剣飾具職、廃刀令のあとは和算を教授し、のちは若松で家塾を開き洋算を始めて教える。
著書に『和算新書』がある。門人により飯盛山に頌徳碑が建てられた。
墓は福島県会津若松市大町弥勒寺。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送