佐藤 勝之助
さとう・かつのすけ


生没年不詳


会津藩士。
6石2人口、甲賀町口郭門警衛佐藤與左衛門孫。戊辰の役において幼少組井上隊に属し、8月23日、同郭門をめぐる大功防戦で祖父とともに戦死した。土佐藩士氷室隼人の手記によると、「このときの戦いに、70歳ばかりの老人が槍を引っさげて躍り出て、味方の一人を刺し、引き込む槍の石突で他の1人の腰を突いたので、その一人も後ろにドッと倒れた。この勇敢なる老人を眺めていた他の1人は、ついに鉄砲でこれを撃ち倒した。ところが、それと同時に14,5歳の少年が槍を携えて手向かってきたので、そやつを生捕れ、生捕れと叫んだが、また一人が刺されたので、これもまた鉄砲で射殺した。その夜はある家に泊まり、酒を求めて大いに飲んでいたところ、ある者が先に殺した少年の首を携え来り、御肴持参と称して大皿の上に載せたので、一同は“愉快極まるこの夜の酒宴、中にますらおの美少年”と歌って、大いに酒を飲み干した」という。この勇敢なる老人と少年というのが、佐藤勝之助と、その祖父與左衛門であった。

参考
小島一男氏著『会津人物事典(武人編)』歴史春秋社





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