笹沼 金六
ささぬま・きんろく



(1838〜1868)


会津藩士。
笹沼主計の三男。長兄・金兵衛、次兄金吾。米代三ノ丁に生まれる。日新館に学ぶ。
1862年(文久2年)容保の京都守護職に従い上洛、京都詰先備甲士勤、翌年春足利将軍木像梟首事件の犯人浪士逮捕に当たる。
8・18政変や禁門の変にも功あり。
鳥羽・伏見の戦いに奮戦したが敗れ、68年(慶応4年)帰国、遊撃隊遠山伊左衛門組に編入され、白河城を占領したが、敵の逆襲で戦死。
墓は福島県白河市常宣寺。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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