笹沼 金吾
ささぬま・きんご



(1834〜1868)


会津藩士。
笹沼金兵衛の弟。砲兵隊頭取10石3人扶持。
戊辰戦争の際、日光口を守備。10月15日(慶応4年8月30日)会津西街道、大内峠の戦いで会津軍は敗れ退却したが、一人とどまり、敵兵数人を斬り伏せ、戦死。遺体は村はずれに晒されたが、これを哀れんだ大内の村人が密に葬ったといわれる。
墓は福島県南会津郡下郷町大内の正法寺にある。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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