佐々木 只三郎
ささき・たださぶろう
(1833〜1868) |
京都見廻組与頭。 名は高城、会津藩士・佐々木源八泰通の三男。幕臣・佐々木矢太夫の養子。兄に会津藩士・手代木直右衛門がいる。 羽島源太に神道精武流の剣術を学び、また和歌を鈴木重嶺に学ぶ。 幕府の密命によって清河八郎を暗殺し、坂本龍馬・中岡慎太郎の殺害には、その指揮をとった。鳥羽・伏見戦争で銃創を負い、紀州に逃れたがその地で没す。 墓は和歌山市紀三井寺、墓石は会津若松市の武家屋敷内に移された。 参考 『幕末維新人名事典』新人物往来社 |
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