桜井 常四郎
さくらい・つねしろう



生没年不詳


会津藩士。
会津戦争時は軍事方を務める。
慶応4年8月23日、母成が破れて十六橋も突破されるという会津藩存亡の危機に際会し、妻たみ子に「我が命のある限りは、敵に滝沢峠を越えさせぬ。もし敵が城下に侵入してきたら、そのときは桜井常四郎はもはや死んだものと知れ」と言い残して滝沢峠頂にある舟石に至り、その岩上で「怨敵退散」の祈祷を行う。
しかしその祈祷も虚しく峠上に敵影が見えるようになると、岩上で敵兵を睨みながら立ち腹を切って死んだ。

参考
山川健次郎氏監修『會津戊辰戦史』



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