坂井 日清
さかい・にっしん



(1832〜1871)


若松城下川原町の大法寺住職。
名は義清、片柳町に生まれ、近くの大法寺の小僧となり、のちに住職、義理人情に厚い熱血僧だった。
戊辰の籠城戦では鶴ヶ城天守閣五層に上り、音吐朗々と「怨敵退散」の読経祈願をして士気を鼓舞、激しい砲弾を浴びても怯まなかった。寺は兵火で全焼、戦後も国事に奔走し、捕吏に追跡され、川原町路上で斬られて死んだ。
墓は会津若松市御旗町大法寺にある。


参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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