西郷 吉十郎
さいごう・きちじゅうろう



(1858〜1879)


会津藩家老・西郷頼母近悳の長男として生まれ通称・吉十郎。のちに保科有隣と改名。
母と姉妹ら21人は敵来襲で自刃。当時11歳で父・頼母に連れられ、籠城中の若松城を脱出し、仙台から箱館へ向かう。
父が五稜郭に入城のときに箱館ギリシャ正教神父・沢田琢磨に預けられる。
戦後は西郷隆盛の援助でアメリカ留学の説、西南戦争に鹿児島で戦傷説もある。
病のため東大医学部病院で死去。
墓は東京都港区麻布長谷寺。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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