大岩 嘉蔵
おおいわ・よしぞう



(1790?〜1864)


会津藩士。
名は勝長、号は石皷。
文化年間に北原光裕に属し樺太に赴く。文学を好み、塙保己一につき数年、学を積む。また本草学を深め藩校医学寮の師範となり、建議して日新館に薬園を設ける。班席が年割席から一之寄合に進められたが、これは全く異例のことであった。
著書に『伊勢の海』あり。
墓は福島県会津若松市若松城東菩提院山にある。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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