小野 権之丞
おの・ごんのじょう



(1818〜1889)


会津藩公用人。
名は義忠。小野権之丞義行(家禄130石)の長男。
京都守護職に就任した藩主松平容保に従って上洛し、公用人として公武間を周旋、公武一和のため尽力。
戊辰戦争の際は抗戦を支持する輪王寺宮を奉じて東下し同盟諸藩にはたらきかけた。
その後、箱館戦争に参戦中、箱館病院掛頭取(事務長)となる。
明治2年5月11日、重傷で入院中の会津藩士・諏訪常吉を箱館征討軍の総責任者黒田了介(清隆)が密かに訪ねて降伏の斡旋を依頼した際、諏訪より後事を託されて榎本武揚らに書状を送る。この書状がきっかけとなって、榎本から黒田に「万国海律全書」が、黒田からその返礼として酒5樽とマグロ5尾が贈られるという「美談」が実現したという。
降伏後は古河藩下屋敷にて禁錮の身となったがのちに赦された。赦免ののちは神田佐久間町で暮らした。後半生は清貧に甘んじたものだったと伝えられ『小野権之丞日記』を残す。
墓は東京都港区青山霊園。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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