沖津 醇
おきつ・しゅん



(1831〜1911)


会津藩士。
通称は甚太夫。戊辰戦争には白河口で奮戦する。
のちに斗南に移り、学制頒布により田名部小学校初代主座教員となり、1876年(明治9年)7月授業を天覧に供し名声を博した。
のち青森県師範学校長になり、青森県の教育に開発的教授法を導入し貢献した。退官後は私立青湾学舎を開き主に貧民子弟を教育した。
晩年は東京に移る。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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