小川 常有
おがわ・つねあり



(1806〜1880)


会津藩士。
通称は有太郎。父・常親は弓術を善くし印西派の師範。4歳にして父を失う。7歳にして岸氏の門に入り射を修める。27歳で藩の弓術師範となる。のちに供番として召し出され弓術師範を兼ねる。
印西派の吉田重矩と相談し、常有は日置流を単称する。
長男常道は戊辰の役にて戦死、次男・渉は『會津藩教育考』を著す。
常有は青森で没した。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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