小原 治八
おばら・なおはち



(1835〜1863)


会津若松花畑に生まれる。名は俊長、通称保之進。5歳の時、父を失い母の黒河内氏に養われ日新館に学ぶ。母は貧しくも治八のために鎧一領をつくる。
1853年(嘉永6年)黒艦来り房総警備に従軍、1862年(文久2年)藩主松平容保に従い外様付きとして上京。御用所密事仮役や軍事方心得となる。翌年、禁門の変に内藤介右衛門隊に属し唐御門で敵弾を受け没。
墓は京都府京都市東山区黒谷会津墓地。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送