西 忠義
にし・ちゅうぎ



(1856〜1934)


会津藩士。
日高開発の恩人と言われる。
明治4年16歳で斗南藩若松出張所書記、若松県職員となる。
明治21年の磐梯山噴火の現地調査報告の功により、警視庁に抜擢。
明治34年に浦河支庁長として日高に赴任して、明治42年小樽支庁長に転ずるまで日高開発のために全力を傾注した。
日高振興の政策を打ちたてて施設の整備、農林水産業の発展、日高民心の啓発につとめ全日高の物質的精神文化に貢献した。
浦河町の西舎神社は西忠義を祭神の一神とする西霊社の後身。



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