根本 精器
ねもと・せいき
(生年不詳〜1864) |
若松大町に生まれ、通称宗兵衛。家業は代々塗師で、独り鍔師となる。若松俳壇の宗匠恪で、下二ノ町に住み己秋庵・梧屋と号した。 1832年(天保3年)各地を行脚し、京都では梅屋を訪い教えを受けている。梅二・可応らと親交があり多くの後輩を指導した。1859年(安政6年)『野かたま集』を江戸で出版。 鍔の商いに江戸に上り旅に病んで没した。 墓は福島県会津若松市天寧正法寺。寺の門前に門弟らが建てた句碑がある。 参考 『幕末維新人名事典』新人物往来社 |
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