南部 精一郎
なんぶ・せいいちろう



(1834〜1912)


会津藩士。
会津藩医。飯坂に生まれ、1856年(安政3年)から江戸に出て佐藤泰然の門に入り医学を学ぶ。会津藩お抱えとなり号を瑞慎と名乗る。
1860年(万延元年)に長崎に行きポンペの門下生となり、松本良順の指導を受ける。
藩主の京都守護職時代は京の木屋町に開業し、新選組隊士の治療に当たる。
容保に従って会津へ帰り、良順を招く。
落城後は佐藤尚中に外科を学び、76年(明治9年)盛岡に移住。
墓は福島県飯坂八幡寺。


参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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