中野 平内
なかの・へいない



(1810〜1878)


会津藩士。
名は忠順、号は磐水。
江戸常詰の納戸役を勤め、また学を好み書法については持明院流の師範であった。足利藩戸田家の臣・生沼喜内の娘こう子を娶って三子をもうける。その長女が竹子、次女が優子である。
戊辰の前年国詰となって会津に帰り、遠縁に当たる米代二ノ丁に住む田母神兵庫の屋敷内に仮住していた。
墓は会津若松市馬場本町の妙法寺。


参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社




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