井深 元冶
いぶか・もとじ



(1849〜1873)


会津藩士。父は保、母は商人富田治平の娘シゲ。江戸昌平黌に学び、安部井帽山の養子となり、のち離縁。
1869年(明治2年)若松民政局にあり圧制のひどかった監察官久保村文四郎を、伴百悦らと束松峠で斬殺して逃亡したが、神山大八と変名し、九州・大坂を遍歴、のち東京から横浜の高島学校の教頭に就職中、密告されて捕えられ、獄中で病死。墓は日下義雄が1894年(明治27年)に東京都台東区谷中霊園に建てた。

参考
『幕末維新人名事典』新人物往来社



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